一輪の花が咲いている。
それを“何だ、スミレの花か”と認識した時点で、目の前の花は「スミレ」という“言葉”に置き換わる。だが、“言葉の邪魔”を排して見続ければ、花はその花ならではの美しさを明かしてくれる。小林秀雄の有名な評論である。
私たちは多くの事象を「言葉」という記号に置き換える。
しかし、言葉の奥にある事実を見つめ、意味を突き詰めた末に、たどり着く真実がある。
「ヒロシマ」「ナガサキ」も、「終戦の日」もそうだろう。
小林自身は「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいい」と、戦中に戦争を美化した反省を拒み、返す刀で、時流に合わせて戦争批判に転じた戦後知識人を冷笑した。小林の態度の是非はさておき、聞こえのいい言葉を聞き、世の空気を読むだけでは「真実」が見えないのは、いつの時代も同じだ。
戦中の為政者は「玉砕」などの美辞麗句を使い、国民を守るべき国家が国民に犠牲を強いる転倒をごまかした。このうそが、完全に崩壊した日が8月15日だった。
その焦土の中から、「立正安国」を掲げ、世界の平和と民衆の幸福のために立ち上がったのが、創価学会である。
きょう一日、歴史の真実を静かに見つめ、平和の大道を開く誓いを新たにしたい。(仲)
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